がんになり、治療を行うも良くならず、状態が悪化して通院ができなくなり訪問診療へ。借家で一人暮らし、家族はいない。お腹に水が溜まって苦しくなり、何度か自宅で水を抜いた。抜いている時に色々な話を聞いた。保険会社の営業職として飛び回っていたこと。酒が飲めないのに飲まされたこと。奥さんとなる女性と出会って結婚したこと。仕事を辞めて、転職した時のこと。奥さんが具合が悪い時に離婚して、息子たちはそっちについていったこと。話す中で出たのが冒頭のセリフ。
通院していた頃の主治医、あれこれ世話を焼いてくれた近所の方たち、多くの部分で手助けしてくれた現在の住居の大家に感謝の気持ちを伝え、色んなことがあったけど、最期は人に恵まれた。そう話していた。主治医からは余命1ヶ月と言われたが約2ヶ月生き、その間に行方がわからなくなっていた息子たちの居所を突き止め、相続放棄するよう認めた手紙を送った。借金を背負わなくていいようにと。しかし息子たちからの直接の反応はなく、弁護士からの手紙が来たそうな。
亡くなる前日に「寝付けない」と言われ往診へ。横向きで布団に寝ており、弱っていて声が出ないながらもなんとか言葉を捻り出した。辛いだろうから薬で眠らせることもできますよ、と伝えたところ、飲み薬でいいよ、と。とても飲めそうには見えなかったが、弱い睡眠薬を少量処方することにした。今日はもういいよ、と言うのでそのまま退出した。
翌日ヘルパーから電話があり、訪問したところ冷たくなっているとのこと。訪問したところ、前日と同じ姿勢、同じ表情のまま事切れていた。違ったのは、前日に全くなかったタバコの吸い殻。ちょっと前に、タバコなんて美味くもなんともねえよ、なんて話していた。恐らく人生を閉じる寸前までタバコを吸っていた彼は一体何を思っていただろう。最期まで弱音を吐かず、言いたいことはストレートに言っていた。「金がないから先生来なくていいよ」と言っていたので、訪問の回数は最小限にしていた。「でも辛いから来てくれって言っちゃうんだよな」とも言っていた。
彼の人生の最期に関わって、僕は何が出来たのだろうか。淡々と自分の人生を振り返って、自分なりに納得して締めくくることができたのだろうか。何かもっと出来ることがあったのだろうか。それとも、人の生き死に対して何か出来ることがあるなんて思うことがそもそも烏滸がましいことだろうか。
きっと、ずっと自問自答は積み重ねられていく。これ自体は答えがなく表現し難い感情が浮かぶけれども、きっとこれこそが在宅医が背負っていくべきものなのだろうと思う。未来、AIが人にとって代わる?在宅医はそんなことはない、と断言できる。答えのない問答をし続けてこそ人間なんだろうなと思う。
彼の最期は不謹慎かもしれないがカッコいいと思ってしまった。たくさんの最期をみてきているが、きっと自分自身の最期はこんなにカッコよく振る舞えない。人生の先輩方はみんなカッコいい。